2024年5月現在、巻菱湖が書いた菱湖遺産(幟旗草稿・幟旗・船旗・石碑・墓表・額字・聯・看板 など)が全国各地に合計50点現存しており、その内、12点の石碑などが各都市の文化財指定となっています。

幟旗

巻菱湖が書いた幟旗は、対の物が5点、1本物が4点の合計14本が現存しており、この他に幟旗の原寸大草稿が2点確認されています。

幟旗は、布(幟旗)に直接書いた直筆の物と、書を染めた物の2種類があります。2点の草稿の幟旗は現存していませんが、この原寸大草稿を版とて数年毎に幟旗を制作していたものと思われます。16点の所在地は、新潟市(新潟県)、胎内市(新潟県)と柏崎市(新潟県)、さいたま市(埼玉県)と匝瑳市(千葉県)になります。ほとんどの物が各々の神社の為に書かれたものになりますが、数点の物に関しては各博物館所蔵となっており、その内の1点に関しては、資料のために購入したものになります。16点について書かれた年代順に紹介します。

①『巻菱湖49歳書:山王大権現』

『巻菱湖49歳書:山王大権現』の幟旗は、新潟市江南区沢海の日枝神社の一対の幟旗になります。これは文政8年(1825年)菱湖49歳の夏に菱湖が越後(新潟)へ帰省した折に頼まれて書いたものかと思われます。現在、北方文化博物館が保管・管理をしており、北方文化博物館(伊藤家)は、古くより豪農として知られ、菱湖も帰省時には弟子と共に世話になったものと思われます。

②『巻菱湖49歳書:八幡大神宮』

『巻菱湖49歳書:八幡大神宮』の幟旗も一対で現存しており、所在地は新潟市江南区小杉となり、①の日枝神社の隣町の神社になります。書かれた経緯は、恐らく日枝神社の幟旗を書いたので、隣町からも頼まれて書いた事と思われます。

③『巻菱湖53歳書:石尊大権現 / 草稿』

『巻菱湖53歳書:石尊大権現 / 草稿』は幟旗の草稿になり、染幟旗の元原稿です。これは新潟市巻郷土資料館の所蔵となっており、合併前の旧巻町時代(数十年前)に巻菱湖顕彰資料として購入したと聞いており、恐らく旧巻町(現・新潟市)とは関係のない場所の幟旗の草稿ですが、貴重な資料の1つには間違いありません。書かれた年は文政12年(1829年)菱湖53歳の書となります。

④『巻菱湖54歳書:天満自在天神』

『巻菱湖54歳書:天満自在天神』の幟旗は、新潟市中央区出来島の出来島菅原神社の一対の幟旗になります。これは文政13年(1830年)菱湖54歳の3月、菱湖が帰省した折(①・②とは別の時)に頼まれて幟旗に直接書いたものと思われます。また、この出来島菅原神社の額字『天満宮』も菱湖の書によるものになります。

⑤『巻菱湖54歳書:神久丸』

『巻菱湖54歳書:神久丸』の幟旗は船旗になります。この船旗は柏崎市立博物館(新潟県)の所蔵となっており、所蔵経緯は不明ですが、先行文献の『出雲崎編年史』によれば、天保2年(1831年)55歳の菱湖は柏崎の近隣の出雲崎町の山崎十兵衛宅に滞在し、御用船旗10旗を揮毫したと記されています。書かれた年は1年違いですが、恐らくこの⑤の船旗は越後(新潟)帰省の折に頼まれて書いたものと思われます。この翌年の秋にも弟子の中沢雪城(新潟県長岡出身)と共に帰省をしているので、御用旗10旗はその時に書いたものと思われますが、この10点の船旗は現在確認されていません。詳細がお分かりの方は是非、巻菱湖記念時代館へご連絡いただければと思います。

⑥『巻菱湖57歳書:鎮守御祭禮』

『巻菱湖57歳書:鎮守御祭禮』の幟旗は、千葉県匝瑳市の猿田彦神社の幟旗で1本のみ現存しています。これは染の幟旗になるため、恐らく、天保4年(1833年)菱湖57歳の5月に③の様な幟旗の草稿を書き、数年毎に書の箇所を染めた物を制作していたことと思われます。また、草稿は現在確認されていません。

⑦『巻菱湖57歳書:奉献 氷川大明神』

『巻菱湖57歳書:奉献 氷川大明神』の幟旗は、さいたま市立博物館の所蔵となっており、こちらも染の幟旗で一対(一対とも同じ草稿を使用)が保管・管理されています。天保4年(1833年)菱湖57歳の6月に③・⑥同様、幟旗の草稿を書き、数年毎に書の箇所を染めた物を制作していたことと思われますが、こちらも草稿は確認されていません。現在は、さいたま市立博物館の所蔵ですが、もとは恐らく、博物館近隣の「深作 氷川神社」の幟旗として使用していたことと思われます。

⑧『巻菱湖64歳書:奉献 諏訪大明神』

『巻菱湖64歳書:奉献 諏訪大明神』の幟旗も、さいたま市立博物館の所蔵となっており、こちらも染の幟旗で一対(一対とも同じ草稿を使用)が保管・管理されています。⑦同様、天保11年(1840年)菱湖64歳の7月に幟旗の草稿を書き、染の幟旗が制作されたことと思われます。こちらの草稿も現在確認はされていません。現在は、さいたま市立博物館の所蔵ですが、もとは恐らく、博物館近隣の「深作 諏訪神社」の幟旗として使用していたことと思われます。

⑨『巻菱湖64歳書:武蔵國一宮』

『巻菱湖64歳書:武蔵國一宮』は、③同様、幟旗の草稿になります。これは、天保11年(1840年)菱湖64歳の3月、⑧の幟旗の4か月前に書かれた物になり、所在地は、さいたま市大宮区の「武蔵一宮 氷川神社」の所蔵になります。書かれた経緯は恐らく、⑦・⑧の神社とは近隣にあり、⑦の幟旗の揮毫や当時の菱湖は全国的にも有名な人物であったこと等から⑧・⑨の幟旗の揮毫依頼があったことと思われます。また、この幟旗は他の幟旗に比べ、かなり大きい物となっており、幅は凡そ2mで長さは凡そ14mもあります。通常一般的な社寺の幟旗は幅1m以内・長さ10m以内で、菱湖書の他の幟旗もこの大きさにおさまっています。

先行文献の『相沢春洋著作集』に「埼玉県大宮の氷川神社には関東一の大幟があるはずである。……」と記されており、そこに記載の大きさよりは小さいのですが、話が伝わるにつれて尾ひれがついたことと思われます。この幟旗の草稿は、2017年3月に氷川神社の蔵より発見されました。発見とういうよりは長年使用されておらず、蔵にずっと置いてあり、関係者の方々もその存在を知らなかっとのことです。草稿の保管状態は良く、杉の木箱におさめられており、木箱には「昭和二十八年八月三日 虫干しの上保管す 大門町二丁目當番」と記されており、恐らくその時以降ずっと蔵に置いてあり、63年ぶりにその全体を見ることができました。

⑩『巻菱湖66歳書:石動御祭禮』『巻菱湖66歳書:神明御祭禮』

『巻菱湖66歳書:石動御祭禮』と『巻菱湖66歳書:神明御祭禮』の幟旗は、新潟県胎内市鼓岡の神社で使用されていた幟旗になります。この2点の幟旗は天保13年(1842年)菱湖66歳の4月と11月に幟旗に直接書いたものとなり、菱湖最晩年の書となります。菱湖は天保14年(1843年)の4月に67歳で没しており、『神明御祭禮』の幟旗は没する5ヶ月前のものになり、書かれた経緯は不明ですが、恐らく当時の鼓岡の人々が様々なツテをたどり菱湖に頼んだ事と思われます。またこの2点の幟旗は各々江戸(東京)で書かれ、鼓岡に送られたものかと思われます。

紹介した16点の幟旗の他にも数十年前には新潟県内で数点の菱湖書の幟旗が確認されていたともいわれていましたが、現在となっては手がかりも無く確認することが出来ません。何か情報をお持ちの方は是非、巻菱湖記念時代館へご連絡いただければと思います。